壊れたのは誰?


体罰:小5クラス全員の顔たたく 「連帯責任」で 横浜

http://mainichi.jp/life/edu/news/20080112k0000e040018000c.html



 体罰はやり過ぎると暴力。

 でもこれってやり過ぎか?

 『顔を両手ではさむようにしてたたいた』って、これっていわゆる"サンドイッチ"でしょ。こんなん、小学校の時に、何度先生にやられたか判らない。いや、判らないほど叩かれた私も私なんだけど(笑。



 どちらかというと次の一文の方が問題では。



>なかには、数回たたかれ、ショックを受けている児童もいるという。



 この程度でショックを受けるって、叱られることに慣れていなさすぎの気がします。その子は、親に殴られたことが無いんでしょうか(『親父にもぶたれたこと無いのに!』ってやつかな)。

 どうにも『家庭の教育』がなってない気がするんですが……。



 子供の頃はまだいいです。なんだかんだで誰かが守ってくれる。ヒネようと甘ったれようと、生きていくことは可能です。



 でも、大人になったら誰も守ってくれない。どれだけ理不尽な仕打ちを受けても、へたれ込むわけにはいかない。生活がかかってるんだから。そう言う時にヒネたまま、甘ったれたままでは、余計に状況を悪くするばかりで、何一つ良いことはない。



 だから大人になるまでに、なんとしてでも『叱られる事への耐性』を付けてやる必要があるはず。それは、子供に正しい道を歩かせる最良の手段でもある。



 もちろん、価値観は多様化します。正しいことや悪いことの定義も変化します。その中で、古い考え方では立ち行かなくなることがあるのも理解できる。

 それでも、『無くしてはいけないもの』は絶対にある。それは机上の理論ではなく、明白な現実が物語ること。

 どれだけ理屈を並べたって他人の機嫌を損ねたら村八分にされるし、どれだけ無口な人だって他人に優しくすれば感謝されるんですよ。



 そして、どれだけ優秀な奴らが集まっていても連携がバラバラでは大きな仕事は出来ないし、どれだけ頭のよい子だって『自分のことしか考えられない』ようでは孤独に苛まれるばかりです。

 『数人が校庭でボール遊びを始め、なかなか集まらなかった』のなら、子供たちで「ねえ、並ばないと怒られるよ」と言って、みんなで連れてくるべきであって、決して『自分とは関係ないし』とそっぽを向いてしまうべきではない。

 そこの所をきっちり仕込んでやるのが親の役目であって、そういうのを『教育』という。学校で習う国語とか算数とかは教育ではなく、『勉強』とか『学習』とか言うんです。もちろんそれ以外のところで『教育』は発生しますけども、最低限のしつけは親がやらないとダメ。それを学校に任せるのは、親の義務の放棄に他ならない。



 このニュースで重要なのは『友達付き合いのできない子供が増えた』ということであって、決して『産休代理の女性教師は凶暴だ』ということではない。どっちが将来的に問題かなんて、火を見るより明らかです。



 『鉄は熱いうちに打て』の如く、子供の頃にある程度の痛みを含んで叱ってあげないと、逆に子供が可哀想です。



 とはいえ……。どうやら叩いてあげなければいけないのは子供ではなく、まず親の方なのかな、と思いますけども。



2008年1月12日




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