20年ぶりの「雨の鈴鹿」

 先日鈴鹿サーキットにて開催された2014年F1日本GPは、例年のような「最高の思い出を残しつつ無事に――」とは言えない、なんとも重苦しい幕切れとなってしまいました。

ジュール・ビアンキ、クラッシュで意識不明の重体
http://f1-gate.com/bianchi/f1_25205.html

ジュール・ビアンキ、深刻な頭部外傷で緊急手術:FIA公式発表
http://f1-gate.com/bianchi/f1_25212.html

 「ドライバーなら誰だって走っていて楽しいはずだ」「神の手で作られたサーキットじゃないかと思う」「幼い頃からここで走ることを夢見てきた」と、ドライバーたちから高い評価を受けるドライバーズサーキット・鈴鹿。しかし、ドライコンディションでは最高の愉悦をフォーミュラ・パイロットに与えるレイアウトも、ひとたび雨天ともなれば、その特異かつ複雑なコーナーの連続が、攻める者たちに危険な牙を剥く。
 思い起こせば、フリー走行や予選では大雨に見舞われたことがしばしばありましたが、鈴鹿の決勝レースがフルウェットで開催されたのは、実に20年も前に遡らないとありません。
 時は1994年。この数字に苦い思い出を想起されるF1ファンは世界中にいるでしょう。最も有名な出来事は、アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーが天に召されたサンマリノGPイモラ・サーキットですが、鈴鹿サーキットにおいても忘れられない出来事がありました。
 豪雨の中、スピンするマシンが後を絶たない状況でそれでも続けられた13周目、第7コーナー出口でフットワークのジャンニ・モルビデリがクラッシュし、その直後に同じ場所でマクラーレンのマーティン・ブランドルがコースアウトしてタイヤバリアに激突。この時、モルビデリのマシンを撤去していたコースマーシャルをブランドルのマシンが撥ね、マーシャルが脚を骨折するという事件が発生したのです。
 そして月日は流れて2014年10月5日。20年ぶりとなった「雨の鈴鹿決勝」は、20年前の鈴鹿を想起させるような、なんとも後味の悪い事件となってしまいました。

鈴鹿S字コーナーを攻めるジュール・ビアンキ(2014F1日本GPフリー走行2)
PENTAX K-5IIs + SIGMA APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSM


 今回の事故が起きたのも、20年前と同じくターン7。ダンロップコーナーと呼ばれるこの場所は、高速コーナーでありながら鈴鹿で最も上り勾配のきつい区間。「完全なブラインドコーナー」「肩から首が抜けるかと思うほど引っ張られる」と、元F1ドライバーのデビッド・クルサードが評するように、テレビ画面で観るよりはるかに難しいポイント。スーティル、そしてビアンキがたてつづけにクラッシュしたのは、このダンロップコーナーを抜ける立ち上がりのポイントでした。

 40周目頃から次第に強くなり始めた雨脚は、インターミディエイト(浅溝の小雨用タイヤ)を履くマシンたちのグリップを低下させ、41周目には安全性確保のためにDRS使用禁止の指令。メルセデスAMGやレッドブルといった、ダウンフォースの豊富な、あるいはそもそも雨用のセッティングを施していたマシンたちはまだまだインターミディエイトで攻めることができていたものの、他ではエクストリームウェザー(深溝の雨用タイヤ)への交換を検討するチームも出始めます。
 そして問題の42周目。まずザウバーのエイドリアン・スーティルがアクアプレーニング現象を起こし、ダンロップコーナーからコースアウトしてタイヤバリアに激突。スーティルは無傷でマシンから降りることができましたが、直後の43周目、マルシャのジュール・ビアンキが同地点で同じくアクアプレーニングを起こしてコースアウト。スーティルのマシンを撤去するために出動していたクレーン車に激突するという事故が発生します。
 現地観戦では目の前にスタンドがあるわけでなく、私も現場からは遠いS字コーナー区間にいたために詳細は見ていません。テレビ放送でも巧妙に隠されており、スーティルはともかく、ビアンキがどのような状態であったか、どのようなクラッシュをしたかは映像では確認できません。
 しかし現地実況の緊迫した声が事故の重大さを想像させ、そして、報告されるニュースの内容はそれを容易に上回る深刻なものでした。

エイドリアン・スーティル 「ビアンキはクレーンの側面に突っ込んだ」
http://f1-gate.com/sutil/f1_25207.html

 F1通算7年目のスーティル、フェラーリ・ドライバー・アカデミー出身にして後のフェラーリ正ドライバーを期待されていたビアンキ。彼らのような優秀なドライバーですら、一瞬の"魔物"によっていとも簡単にマシンのコントロールを失ってしまう。
 濡れた路面で上り勾配でさらに高速のブラインドコーナーともなればラインの確保は難しく、排水性の良い鈴鹿とはいえ、一歩間違えればコントロールを失うのも無理からぬこと。おまけに10月の17時前に加えて雨天ということもあり、コース上の視界はたいへん悪く、そのせいでスーティルは水たまりに足を取られた、というコメントを残しています。

スーティル「暗くて水たまりが見えずコースアウトした」:ザウバー日曜コメント
http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=60469

 時速300kmを争うF1ドライバーにとって視界不良は最悪の敵。ナイトレースやトワイライトレースなど、日が落ちてからのレースというのもあるにはありますが、それらは照明を煌々と灯され、光量はちゃんと確保された中で行われるもの。今回の事故の状況とは当てはまりません。観客にはまだ明るいと思えても、ドライバーから見える景色は全く違うもの。まして暗い中で雨ともなれば、どれだけの負担がドライバーにかかることか想像もできません。

 しかし、ドライバーと観客で感覚が違うのは当然としても、ドライバー間でもその認識には違いが発生します。ある者は無理だと言い、ある者はまだ大丈夫と言います。

路面状態は「それほど悪くなかった」
http://ja.espnf1.com/japan/motorsport/story/178303.html

必死でレース停止を訴えていたマッサ
http://ja.espnf1.com/williams/motorsport/story/178187.html

 なぜ事故は起こってしまったか。原因はいくつも考えられますが、しかし、そのどれもが今のところ結果論の域を出ません。例えば「台風が接近しているのになぜレースを開始したのか」という意見は多くありますが、現地観戦していた身からすると「あの程度の天候であればレース開催自体はしてもおかしくない」と言い切れます。
 土砂降りというほどの雨はせいぜい午前中~昼頃のみで、それも少し降っては小雨になりというような空模様。スタート前後の時間には小雨が降ったり止んだりといった程度のもので、風についてもせいぜいそよ風くらい(むしろ風がなさすぎて水はけが滞るほど)。ドライコンディションとは比べ物にならないとはいえ、ウェットコンディションのレースとして常軌を逸するほどではなく、あの時点では開催の判断は間違っていなかったと思います。当初はセーフティカーに先導され赤旗も出たほどの路面コンディションでしたが、少なくとも、それを選択できる余地のある状況であったことは間違いない。
 もちろん、15時~17時という、この時期としては遅い時間のレースですから、雨天ともなれば終盤の日照に不安があるのはわかっていましたが、1時間早ければ回避し得た、というにはあまりにも天候の予測がつかなかったのも事実。結果論としてはそうだったかもしれませんが、それを求めるには不安定すぎたのも確か。

 しかし、それでも、起こってしまった事故について反省し、次に起こさないための教訓を得ることは大事です。そのためには慎重かつ深い議論が必要で、たぶん、今すぐに何かを特定することはできません。
 今はいたずらに無責任な批評を下すときではなく、関係各所の議論と判断、そして何よりジュール・ビアンキの無事と回復を待つ時でしょう。


【レースの焦点】事故は回避できなかったのか――
http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=60480

 事故を回避できなかったのかと考えると、様々な意見が生まれる。スーティルがコースアウトした時点でセーフティカーが入るべきだった。重機がコースサイドまで出動すべきではなかった。ウェットコンディションでレースを行うべきではなかった。雨天で日照が乏しくなるならスタート時間を早めるべきだった。あるいは暗くなった時点でレースを終了すべきだった……。
 しかし事故が重大になった理由には様々な要素が加担していて“犯人"を名指しすることはできない。
(中略)
 慎重に時間をかけて考察すべき問題はいくつもあって、現時点でひとつの要素を批判したり、単純な“解決法"を探るべきではない。論争を展開すべきタイミングでもない。ひとりのドライバーが病院で必死で戦っているのだから――

ベッテル、「F1はこれを教訓にすべき」
http://ja.espnf1.com/redbull/motorsport/story/178289.html

「スタート時刻の変更・・・1976年にできず、今だにできていない」と彼は述べた。「それを許さないのは明らかにテレビ、メディアからのプレッシャーだ。でも、状況を考えるとレースの監督者はできることをしたと思う」
「あんなアクシデントが起きるのを予測するのは不可能だ。でも起きたのは事実だし、僕らはこんなことが二度と起きないように、そこから何かを学ばなければいけない。今はそんなことより、ジュールのことが心配だ」

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