境界の匂い

 寺とか神社とか好きで、よく見に行ったりします。旅行でも優先的にそういうスポットを選んで行き先を決めますし、休日に暇だと近場の寺社仏閣に足を運びもします。
 とはいえ特段勉強して詳しいというわけでもなく、多分に「雰囲気」が好きなんですよね。そこにある縁起や歴史よりも、その場所に集う人や街の気配、そういうものにこそ魅力を感じます。

大提灯(大須観音)
PENTAX K-5IIs + SIGMA 17-50mm F2.8 EX DC HSM

 特に、地域密着型というか、その地域に寄り添うようにして建つ寺社は、俗世の猥雑な気配や煩悩が苔のようにこびりついている感じがして、なんとも言えない味わいがあります。名古屋近辺が行動範囲の中心となっている自分にとっては、例えば大須の万松寺、あるいは大須観音(真福寺宝生院)あたりが好みです。神社よりお寺さんのほうがなんとなく市民に寄り添ってる感じでしょうか。神社はもうちょっと超然としたイメージです。氏神さまだとそうでもないですが。

浄水にとまる鳩(大須観音)
PENTAX K-5IIs + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 II DC HSM


 こないだの土曜日も、そんな空気を求めて大須に遊びに行ってきました。大須観音ではちょうど開山記念祭の日だったようで、何らかの催しをやっていたようですが、行った時間が少し遅かったせいであまり詳しく見てません。こういう時に勉強不足がたたります(笑。
 そんななので参拝というには程遠く、鯛福茶庵でたい焼きを食べたりとか、行き交う人の波を見ていたりとか、商店街をぶらぶらしたりとか、そんな不真面目な休日。

仁王門の千羽鶴(大須観音)
PENTAX K-5IIs + SIGMA 17-50mm F2.8 EX DC HSM

 大須観音から仁王門通を経て東仁王門通を歩き、まねき猫を左折して新天地通に入って万松寺までの散歩道。途中、メイドさんの姿に心惹かれたりなんかして煩悩まみれ。それにしても招き猫周辺に3店舗もメイドカフェが密集してるのは何故なんだ。
 目的地の万松寺は相変わらず商店街の一角という感じで、こぢんまりとした感じがたまりません。実際は織田家に縁のある由緒正しい寺ではあるのですが、所在地が所在地なので"住民に愛されるお寺さん"という印象が強い。敷地内から見えるのは人通りで賑わうアーケード商店街ですし、10時から2時間毎にはからくり人形の上演があったりと、いかにも地域密着型。
 でも、それなのに、白雪稲荷の提灯の下に入れば、壁で隔てたわけでもないのに静かな気配が立ち込めて、信秀公墓碑に至る地下道に入れば、ひっそりとした冷たい空気が澱のように沈殿している。こんなに俗世に近いのに、どこかこの世のものではないような、不思議な雰囲気。

地下道の灯(万松寺)
PENTAX K-5IIs + SIGMA 17-50mm F2.8 EX DC HSM

 お寺や神社にはよくこういった空気漂う場所がありますが、それはだいたい境内の奥の方、なるべく人から遠ざけられたところにあるのが一般的。万松寺は商店街から隔てられてすらいないにも関わらず、俗世の空気と交じり合う中、何かが隔絶した空気を持つという点で、一種独特の異様な存在感があります。

お地蔵さん(万松寺)
PENTAX K-5IIs + SIGMA 17-50mm F2.8 EX DC HSM

 考えてみれば、"人"という存在自体にそのようなところがあるような気もします。集団の中で笑いあい交じり合いながら、すぐ内側の心の中には誰にも触れられない静かなものがある。内と外の空気は交じり合っているようで断絶しており、隔てられているようで混在している。万松寺の、境界上に立って内と外を隔てながら混じりあう雰囲気は、人の営みにより近いところに位置していることが大きいのかもしれません。

商店街を見つめる白雪稲荷(万松寺)
PENTAX K-5IIs + SIGMA 17-50mm F2.8 EX DC HSM

 日々営まれる人の生活。喜怒哀楽と煩悩と精進、それらを包んで行き交う人々と、彼らを物言わぬ視線で静かに眺め続ける仏像、あるいは稲荷、お地蔵さん。渾然一体となって形作られる街という名の息吹と気配を嗅いだ時、由緒や歴史のお勉強だけでは見えてこない、より俗っぽくて愛らしく、リアルで生々しい、そんな"寺社仏閣"の姿が見えてくるような気がします。

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