Dynamite!! 長島vs青木の一戦に思うこと

 大晦日の長島vs青木の一戦をもう一度考えてみる。

 仮に自分が青木の立場だったら、1Rをどう戦ったか? たぶん、青木と同じ事をしただろう。打撃では勝てそうにないんだから。
 ただ、2Rであんな入り方はしないだろう……とは思う。長島にしてみれば、あそこしか勝てる局面がないはず。ならば、それを外しておけば万全だ。おそらくもっと慎重にテイクダウンしただろうと。
 

 青木の失敗はあの2R開始早々のタックル、これに尽きる。他に一切失敗はしていない。1Rは間違いなくあの戦い方でいいと、そう思う。それで責められる謂われはない。少なくとも、勝負師としては。
 ただし、エンターテインメントとしてみれば"ない"だろう。それは明らかだ。
 選手はそれぞれキックボクサーと総合格闘家。1Rはキックルール(K-1ルール)で、2RはMMAルール。それぞれ、不利なルールの中でどのように戦うか、しのぐか。その攻防にファンは興味を抱く。そしておそらく大多数のファンは、選手達が各々の不利なルールの中で、それでも"正々堂々と"戦う姿を望んでいる。
 ミックスルールの害悪についてはいまさら言及しないけれど、少なくとも、逃げ回って時間を稼ぐ姿を見たいというファンは、かなりの少数派だろう。
 しかし、もう一度書くが、"勝負に徹する"という側面で見る場合、青木の1Rの戦術は絶対に間違っていない。2Rがあまりにタコ過ぎるので、1Rまで悲哀が漂っているかのように勘違いしそうだが、長島に打撃戦で勝負を挑んだところで勝てるわけないのだし、3分間逃げ回るのは真っ当すぎるくらいの作戦だろう。
 負けたのでボロクソに言われているが、勝っていればせいぜい「空気読め卑怯者」くらいの罵声だったろう。……あまり変わらないか。
 ともかく、1Rの内容については、そういった二つの見方があることは間違いない。そして、このことは――この一戦は、格闘技のイベントの本質を、ファンや関係者に問う格好の材料なんじゃないかと思う。
 リングの上でのことを、真剣勝負と見るか、あるいは見世物として見るか。
 真剣勝負であれば、選手は観客を楽しませようなどとは考えなくて良い。ただひたすら、勝利だけを追っていけばいいだろう。そして観客は、選手達の本気のしのぎあい、その攻防の一挙手一投足に注視すればいい。他に雑念は要らない。派手なKOや一本が無くとも、一流の選手達の戦い振りに酔えるはずだ。キックボクサーの佐藤嘉洋などは、最近では考え方が変わったそうだが、以前はこの手のタイプだった。
 そうではなく見世物であれば、選手は観客を楽しませるべく、あえて勝負から外れたこともしなくてはならない。自分が不利になろうとも、相手の土俵で戦うことを選択し、そこで結果を残すことを求められたりもする。そして観客は、退屈な試合をする選手を非難する権利を得る。
 前者の利点は、極限にまで研ぎ澄まされた"いかに倒し、生き残るか"という技術を、もっとも純粋に抽出できることにある。いわゆる"競技"としての格闘技の正しい形。
 欠点としては、よく知らない人が見る場合に、非常に退屈なものと映ることも多いだろうこと。それにより、新規ファンの獲得が難しくなれば、今のような大規模なイベントは打ちづらくなるだろう。
 後者の利点と欠点はそれとは真逆で、分かりやすい試合、盛り上がる試合が多くなり、新規ファンの獲得も容易になる反面、純粋な勝負としては一段下のものしか見られない場合が多くなる(まったく見られないわけではない)。
 上記を踏まえて考える時、ファン、選手、スタッフ、それぞれが何を目指し、何を欲しているのか? この一戦はそれを浮き彫りに出来る素材ではないだろうか。もっと言えば、青木の戦い方を是とするか非とするか、それが、その人の「格闘技イベント」に対するスタンスを表すように思う。
 では、筆者自身はどちらのスタンスか? 迷うところだが、エンターテインメントであってほしい、と思う(ここらへん、佐藤嘉洋と同じように、以前と意見が変わった)。プロの興行は観客からお金をいただいているのだから、それに見合ったものを魅せなければいけないだろう。
 しかし、それには条件が付く。その条件とは「アマチュアの機構が整備されていて、そこでルールに基づいた真剣勝負の場が保障されていること」というもの。
 現在のように、大規模なプロ興行を打っている団体において、修斗以外にロクなアマチュア機構を持っていないという状況は良くないと思う。いちおうK-1はK-1甲子園という高校生イベントを主催してはいるが、あれもアマチュア機構ではなくただの年一回のイベントに過ぎないだろう。
 このままずっとアマ機構がなく、ただ他所から見栄えの良い選手を引っ張ってくるだけでは、格闘技の技術レベルは空洞化すると思う。あらゆるプロスポーツは、アマチュア達の切磋琢磨により、そのレベルを保障されているのだから。
 もちろん、代表的な興行のほとんどが、そもそも「異種格闘技」を念頭に置かれていることを考えれば、それぞれでアマ機構を持つ必要は、その由来からして"無い"という意見もあるだろう。たとえばK-1だって、そもそもは「異種格闘技世界一決定戦」というような名目で開始されているのだから。
 しかし、日本でK-1が勃興して18年、もう解散したとはいえPRIDEが発生して14年になる。アメリカでもUFCが開始されてから18年経った。キックルールにしろMMAルールにしろ、すでにひとつの競技として独自の進化を遂げている。
 もうそろそろ、他の競技からチャンピオンを引っ張ってきて、さぁ大物が来ましたよ、と煽るような時代は終わりにすべきではないだろうか。
 そんなことを、長島☆自演乙☆雄一郎vs青木真也の一戦を見て思った。


2011年1月3日

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