PRIDE武士道観戦記






さて、こないだの土曜日の話で申し訳ありませんが、PRIDE武士道を観にいってまいりました。地上波の放映がなくなったので、観戦するには会場に足を運ぶ以外なくなってしまったことと(家のスカパーは110なのでPRIDEやってない)、暴力団スキャンダルの後、どのような興行を行っているかの興味もあって、笠寺のレインボーホールまで久しぶりに足を運んできた次第です。

前日に開催を知ったので前売りは持っておらず、当日券にて入場。チケット窓口で全席余っているということだったので、迷わずRRS(リングサイド)席を購入。25000円でしたが、まぁこの手の格闘技イベントの相場でしょう。

とりあえず13時から窓口に並んで、14時にチケットを入手したはいいですが、会場が15時なのでしばし時間つぶしに。表は暑いだけなので、レインボーホール館内のベンチに座って、PSPで遊びながら待つこと1時間。この間に、高田延彦と美濃輪育久と桜井"マッハ"速人と川尻達也を目撃。たぶん、開始前でぴりぴりしてるだろうと、サインねだりは自粛。…まぁ、そこまで彼らのファンじゃないというのもありますが。

ちなみに、PSPでプレイしていたのは、最近買った「こみっくパーティ」(アクアプラス)です。格闘技観戦前に「こみパ」を熱心にプレイしているような奴は、世界で神居鈴ただひとりだけでしょうな(笑。



ともかく、15時になって開場したので、席まで移動。驚いたことに、花道の真横です。しかも半ばぐらい。うひゃー…いいのか、これ。もっと熱心なファンのために譲った方が良くない? ギャルゲで時間つぶしてるような半端者の座る席じゃないです。

イベント開始後も予想通り、ちょうど私の目の前で皆さんパフォーマンスしてくださいます。郷野聡寛のアゲアゲダンスも、美濃輪育久の…なんていうんだか、手を上に突き上げたあと、一気に振り下ろすあのパフォーマンスも全部目の前。なぜカメラ持ってこなかったんだワタシ。



さて、まぁ、そういう枝葉の話はともかく、問題なのは試合内容です。これが良くなきゃどうしようもない。

で、まぁ、感想ですが…。



盛り上がらねぇ~…



と。

格闘技観戦はこれで通算3度目ですが(2003 K-1 Premium Dynamite!!、2004 K-1 WORLD GP in NAGOYA)、これほど盛り上がりに欠ける興行はなかった。

試合内容は決して他に劣っているわけではない。むしろ、前2回に観にいったK-1の興行のようなモンスター路線やボクサーいじめでない分、試合内容はむしろ良かったといえる。

では何が問題なのかというと…こう書くと「ハァ?」と思われるかもしれませんが、"観客"がダメ。もう、致命的にダメ。



どういうことか? おそらくは、フジテレビの撤退による地上波放送の消滅によるものだと思われるのですが、いわゆるPRIDEのコアなファン層から、批判精神が抜け落ちてしまっているのがありありと見て取れる。これが本当に良くない。

具体的な例として、美濃輪育久vsバタービーンを挙げましょう。この試合は完全に結果の見えている試合で、美濃輪が負ける要素がほぼ無いと言えるマッチメークです。バタービーンはボクシング、それも4回戦に特化したタイプのファイターで、総合格闘技をやらせたところで、曙程度の実力しかないことは明白です。ならば、美濃輪が「どのように仕留めるか?」に焦点が集まります。しかし、この仕留めるまでの過程が死ぬほどグダグダで、褒めるべきところがひとつもない。観客を沸かせるためか、開始早々ドロップキック二連発という暴挙に出る美濃輪ですが、さすがにこれは無茶すぎてバタービーンにテイクダウン…と言うか、上に乗っかられてしまう。ここからは、丸々と太ったバタービーンの体重から、なんとか抜け出そうともがく美濃輪の滑稽な姿がただひたすら観客にさらされる時間が続きます。で、抜け出したら抜け出したで、今度は間接を極めようと相手の腕を取りに行くわけですが、初回は自分の体が悪くて極められず、二回目にしてようやく腕ひしぎ十字固めをなんとか完成。リアルプロレスラーを謳い、積極的に総合格闘技の試合をこなしている猛者が、総合ド素人のバタービーンの腕を取るまでに、実に4分近くも組み合っていたわけです。もう何をやってるんだと。

バタービーンと総合格闘家の試合というと、2003 K-1 Premium Dynamite!!での、須藤元気戦が思い出されますが、あの時の須藤の、観客へのアピールすら含んだ華麗な動きと戦略に比べ、なんと鈍重で、美しくない試合であることか。

こんな試合は、総合格闘技などとは呼べない、単なるプロレスごっこでしょう。しかし、観客はというと大喜びで、試合後の美濃輪のパフォーマンスに付き合って、「オイッ!オイッ!」とやっているわけです。そこはブーイングの場面だと、もう声を大にして叫びたかったです。



他には、三崎和雄vsダン・ヘンダーソンでの、両選手の腰引けパンチの応酬、五味隆典vsデビッド・バロンの、攻め切れない王者・五味など、空き缶でも投げてやろうかというフラストレーションメーター振り切りの試合が何試合もあるわけですが、ブーイングなど一試合として出ない。



無論、選手は一所懸命やっているでしょう。血を流し、痛い思いをして、それでもファンのために、自分たちのために、がんばっているでしょう。そのことは素直に賛美できる。しかし、それとこれとはまったく別です。



例えば、舞台演劇において、大根役者が劇を台無しにした時、観客はどうするべきでしょうか? 「がんばったね」といって拍手を送るのは正しいでしょうか? そんなわけありません。舞台を愛するならば、空き缶を投げ、罵声を浴びせ、金を返せとコールする、それが正しいファンのあり方です。そうでなければ、役者も、そして舞台を打っている興行主も、反省しないし成長しないからです。

良い演劇を観たいならば、叩く時に思い切り叩く。それが必要なのです。

格闘技だって同じです。ダメな試合にダメといわなかったら、誰がそれを反省し、次に活かそうと考えるのでしょうか。誰も考えません。これで良いんだと勘違いして、グダグダな興行が増えるだけです。



でも、先日のPRIDE武士道に、そうしてやろうという気概のある観客はいなかった。いや、いたかもしれませんが、その声はあまりに少なく、小さい。私も含めて…。



何でそうなってしまったかと考えると、先に挙げた地上波撤退がやはりファンにも効いているんだと言うことが想像できる。多分、"嘘でもいいから盛り上げたい "、"つまらなくても面白いといっておきたい"、なぜって、そうしなければPRIDEがなくなってしまうかもしれないから…つまり、そういうことなんだと。だからこそ、空虚な声援を送り、試合後のアピールにも必死に付き合って、今観ているものが面白いんだと、観客一丸で信じ込もうとしている。

しかし再度書きますが、それは間違っている。本当にPRIDEの存続を願うなら、大声でバッシングしなければいけない。もっと良い試合を観せろと。俺達は高い金を払って観に来てるんだと。それなのに何だ今日のつまらん試合は、主催者出てこいと。

自浄化が今のPRIDE(=DSE)にいちばん必要なことなのに、それを可能にできるファンがなぁなぁの馴れ合いになっていては、綺麗になるものもなりません。

興行主なんて放っておけば腐ります。ファンが叩いて磨かなきゃ、光るわけないんですよ。



――その昔、釈迦はこう説かれた

「己こそ己の寄る辺、己をおきて誰に寄る辺ぞ。良く整えし己こそ、まこと得難き寄る辺也」

また、こうも言われている

「自ら悪を為さば自ら汚れ、自ら悪を為さざれば自らが清し。清きも清かざるも自らのこと也。他者によりて清むることを得ず」

つまりはそういうことです。最後に頼れるものは良く律した自分、そして、自分を律することができるのは、自分以外にはいない。

ここで言う自分とは、つまりPRIDEであり、DSEであり、そして、それを支えているファンです。ファンが自らの汚れに目を向けない限り、清くなるなんて夢のまた夢なのです。



2006年8月29日




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