野球は筋書きのないドラマなんだから

 昼飯食ってる時に、たまたま「ひるおび」を観る。スタジオ全員で田中の160球と昨日のセーブ&日本一を美談にしようとしてて腹が立つ。
 ついでに玉木のバカタレが落合をdisってるのもイライラMAX。あのアホを誰か黙らせてくれないもんだろうか。厭味ったらしく「完全試合で投手を変える監督なら替えなかったでしょうけどねぇ」「いやぁ日本シリーズ面白くてよかったですね」とか、こういう昭和脳のマヌケがしたり顔して野球を語るから、日本の野球はメジャーの草刈り場を脱することができないんだな。
 

 
 とにかく今年の日本シリーズは、ヘタクソな野球を見せられたなぁという感想。トンネルはする、フライは落とす、どこに投げたらいいのかわからない、なぜか爆走するピッチャー、ついでに誤審はやらた多くて、最後はお涙頂戴。
 これを面白いと思っているのは、たぶんマンガの見過ぎか何かだろう。勝負論とドラマ性を混同して、結局後者に比重が移るとこの手の病気が発症する。いやそもそもこんなドラマいらん。田中を壊す気か?
 これぞ星野の悪いところ。最悪なところ。昭和で絶滅しているべき野球を、今に至るまでずっとやっている。
 そら私だって星野にはそれなりの思い出はある。一度くらい星野が日本一にならないかなぁ、と思ってたし。
 でも、だからといって、こんなジジ臭い野球で日本一にならなくてもいいだろう。それしかできない? じゃあとっとと引退すればいいんじゃないかな。
「勝つための最善策」を取らないようなスポーツは、見てて心底つまらんです。
 160球投げさせる必要がどこにあった? あの日の田中の球が走ってないことはテレビを通しても一目瞭然で、よっぽど引っ張っても3点取られた時点で替えるべきだった。結局その後1点も取れてないからどっちにしろ負けてるけども、意味のない球数を投げさせずに済んだ。あるいは、田中が降板することによって、よっぽど打者が奮起したかもしれない。星野いわく「途中で代われと言ったけど、エースの意地。『最後までいきます』と言った」。何言ってるんだ、それこそ監督の意地にかけて替えるべきじゃないのか。
 さらに翌日はクローザー起用。死ぬわ。だいたい優勝決定戦とCSでも田中にクローザーやらせてるけど、あれリリーフ陣がいい顔しないだろう。信頼出来るクローザーがいないという事情はあるにせよ、ああいう起用をすべきでない。ましてこの日は前日に160球も投げている。逆に、どうしても投げさせたいなら、前日もっと早めに替えておけと。
 もうホント「これがドラマですよ~」「感動してくださいねぇ~」という感動の押し売りでうんざりする。
 いやそれで面白いと思うジジィが一定数いるのはわかってますよ。そんなことは百も承知なんですよ。
 でもそんなジジィはそのうち寿命で死ぬわけで、あとに残るのは若者。投げる田中も、見てるこっちも、まだずっと野球をやりたいし観たい。それなのに、未だ古臭い、情緒的なだけの野球を続けられるのは苦痛以外の何物でもない。
 押し付けのドラマでなくては受け入れてもらえないと考えているなら、それは野球に対する侮辱だ。「野球は筋書きのないドラマ」と言う通り、いちいちクサい筋書きを用意しなくったって面白いのだ。
 今に至るプロ野球が発足して80年経つ。そろそろ一段レベル上げてもいい頃でしょう? 選手も、ファンも。
 ……と、『「完全試合で投手を替える監督」が率いていたチーム』が好きだった私は、そう思います。

平成25年11月4日

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