愛された三毛猫

 うちには4匹の猫が住んでいる。18歳を超える、6つ子の兄妹のうちの4匹。その内の1匹が今朝、天に召された。

 その子が生まれたのは、18年前の4月6日。兄妹たちの中でもやせっぽちで、どうにも体力の無さそうな三毛猫だった。実際には6人の兄妹のうち、2匹は1年もたずに死んでいるから比較的マシだったとは言えるんだけれども。

 ただまぁ、生まれた当初はそうなるとはわからなかったので、なんとか元気に育って欲しいとの願いを込めて、当時好きだったカードゲームの、元気なお転婆キャラの名前をつけてあげた。
 同時に生まれた兄妹でメスは3匹。もう2匹の方には、それぞれ体力自慢のキャラの名前と、大人し娘のキャラの名前。そういう布陣で臨んだわけだけれども、結果として前者は早々に死んでしまい、後者は兄妹の中で最も傍若無人に育った。
 で、今日逝ってしまった子もやはり名前には似ず、大人しくてわがままを言わない、おしとやかな子に育った。まぁ、名前なんてそんなもんだといえばその通りだ。
 それでも、当時の友人に「猫には見えない」とまで言われたガリガリの女の子は、成長するにつれてふくよかになり、変わった模様の三毛も手伝って、とても愛らしい猫になった。

 滅多に鳴かず、食卓に手を出すこともなく、手がかからず奥ゆかしい性格は、家族みんなに愛された。「この子が兄妹で一番いい子」という評価を、18年間ほしいままにしていた実績は伊達ではない。
 そんな子が、大好きな鰹節も食べられなくなるほど弱って、まだ日も昇らない明け方に息を引き取った。数日間苦しそうではあったけれども、吐いたりも漏らしたりもせず、最後まで彼女らしく静かな死に様だった。最後くらい、思い切り手を焼かせてくれても良かったのだが。

 だから、何かが欠けたような寂しさはやはりある。いなくなった彼女を探して家を歩きまわる、他の猫達もきっと同じであろう。朝、歯を磨いている足元に寄ってきて、こちらを見上げる眼差しは、明日からはもうない。
 とはいえ、嘆くような悲しみは心にない。ああしておけば、とか、もっとそばにいてやれば、という悔いもない。18年と3ヶ月、家族全員、もてるだけの愛情を注ぎ続けたという確信がある。間違いなく、彼女は幸せだったはずだ。あの子が、この家以上に幸せになれた場所は他にない。

 この世では幸せに包まれて死んでいった。そしてあの世でもきっと、みんなに可愛がってもらえるはずだ。だから、寂しいとは思うけれども、これで良かったのだとも思う。もう苦しむことはないし、向こうで大好きな鰹節もたくさんもらえるだろうから。

 最後にお礼をいう。18年間この家を温かくしてくれて、本当にありがとう。お疲れさま。兄妹と我々がそっちに行くまで、ゆっくり休んで待っていてね。


平成24年7月6日

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