SILENT HILL ~現世と常世の狭間に~


今日は休日出勤の代休日ということで、朝から羽を伸ばしてまいりました。

目的地は、こないだの土曜日にも遊びに行ったイオンモール。お目当ては、TOHO CINEMASで上映中のホラー映画、SILENT HILL。プレイステーション用ゲームとして発売され「ゲーム史上最も怖いゲーム」として世界中で絶賛を浴びた同名タイトルの映画化作品です。

筆者はこのゲームの2作品目、「SILENT HILL2」(最期の詩、ではない方)を所持しており、プレイ当時、その凄絶なまでの映像美と、忍び寄る恐怖の演出に驚嘆したものです。今日は、その時のドキドキ感を胸にしのばせながら、どんな風に映画化されているのか楽しみにして、インプレッサ君を飛ばしてきました。

さて、ちょっと早めに家を出たので、10時に現地に到着。ファーストショーが11時10分からなので、まだ1時間ばかりあるので、その間に遅めの朝食。余った時間をゲームコーナーの「GUILTY GEAR XX SLASH」で潰しながら、時間まで待ち。ちなみに、メイを愛機にノーミスで聖騎士団ソルまで行って、ストレートで負けました。強すぎです。



さて、時間になったのでホールに。…見事にガラガラです。平日のファーストではこんなものか。…作品がマイナーだから、というのもあるかも…。くそっ、「ダ・ヴィンチ・コード」や「ミッション・インポッシブル3」ばかりが映画じゃないぞ。ちなみに、世の中の読書家は大まかに二派に分かれて、ベストセラーを読むやつと読まないやつになります。筆者は明らかに後者…。いいんだ、マイナー路線こそわが人生。



ともあれ、おきまりのコマーシャルを経て、いよいよ本編に。…では、以下はレビュー文体でゴー!



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SILENT HILL ~現世と常世の狭間に~



この物語は…とても、静かだ。タイトルの「SILENT」は、決して街の名前というだけに収まらない。構築された作品世界はどこまでも静かで、そして哀しい。それは、我々がホラー映画と言う単語から想像する、ある種のパニック的な――冷笑的に言えばにぎやかな様子――とは180度違う、極めて静かで、そして深い哀しみだ。

冒頭の焦燥感溢れる呼び声と、観る者ごと加速度を増していくかのようなカーチェイスを経て、主人公ローズがSILENT HILLの入り口で目を覚ました時…、観客はこの物語が、ありきたりな極彩色に塗りたくられた既存の大味なハリウッド・ホラーとは一線を画す、淡い色合いで描かれた、詩的な物語であることに気づく。



それは、現実か、あるいは幻想か。SILENT HILLの舞台は、地図にない、世界から抹消された街の中。

今もなお地下火災が続き、住む者のいない街…

外界からの道は封鎖され、街を知る者はみな一様に口を閉ざす、忘れられた街…。

音もなく降り続ける灰が濃霧のように白く視界を煙らせる街…

静かな街…、誰もいない街…。

大通りにさざめく人々の足音も、裏通りにこだまする子供たちの歓声も、家々から漏れる家族たちの笑い声も、そこにはない。

あるのは、ただひたすらに静かで…、そして、不気味な…異世界。

全ての観客は直感的に気づいている。未だ何も起こらなくても…、誰かの悲鳴が聞こえなくても、恐ろしい怪物がいなくても、ローズが今立っている場所が…もう、この世ならぬ、異世界であることを。

そして…体感する。白く、淡い街並みが、闇に変貌するその瞬間を…、異世界の現実が、更なる幻想へと変化するその瞬間を。



物語は、大雑把に見て、4つの世界軸で語られる。ひとつは現実世界。我々の住む世界におけるサイレント・ヒル。ふたつめは、白い灰が降り続ける、忘れられたサイレント・ヒル。3つめは黒き闇に覆われ、異界の怪物が闊歩するダークサイド・サイレント・ヒル。そして4つめは、哀しみに彩られた、過去のサイレント・ヒル。

とりあえずは、この4つの世界を観客は行き来しながら物語を体験することになる。



そう、観客は、世界を行き来する。これは比喩ではない。物語の進行に応じて、観客はこのSILENT HILLという映画に構築された、数々の世界を行き来しながら、事件の全貌を知ることになる。

そして、筆者が最も賞賛すべきと考えたのが…実にこの点なのだ。

現実から幻想へ――この世界観のシフト、その手際が実に巧みに描かれている。先に示した、ローズがサイレント・ヒルへ入っていく所もそうだが、白い灰に覆われた街並みが、ヒステリックなサイレンの音と共に邪悪な闇の世界へと変貌していく、そのグロテスクな映像や、逆に、闇の世界が元いた白い世界に回帰していく、その幻想的な情景は、これまでのどんな映画でも観ることのなかったものだ。時折カットインされる過去の断片的な情景や、"本当の現実世界"との対比なども含め、実にこの"世界の切り替わり"にこだわって作られている。

そして、上記の"外界としての多層世界"に加え、登場人物たちの持つ、二重三重の秘密や過去、あるいは人間性といった"内なる多層世界"が加わり、物語はますます混迷を極めた情景を構築していく。

物語の、"表向きの恐怖"の根源となっている人物についても、そこにはハリウッド的な判り易い"悪"は押し付けられていない。悲劇的な過去や境遇は説得力を持って観る者に訴えかける。また、全ての元凶たる"裏の恐怖"の体現者にしても、そこに描かれる"悪"は、我々人間が容易に堕ち込んでしまうであろう、現実と一体になった悪として描写される(多少極端であるとしても)。単なる勧善懲悪では終わらない、十重二十重に構築された深い世界観/人間観がそこにある。

多層的に描かれるそれら数々の世界は、観客の平衡感覚を次第に失わせる。観客は、自らも気づかぬうちに切り替わる数々の世界を体験するうちに、やがて現実と幻想の境界が曖昧になり、やがてサイレント・ヒルの不安定な世界に囚われていくのだ。

ラストシーンでローズが立つ世界は、現実か、幻想か。その真実を目にした時、否応無しに……冷めない悪夢のような"現実と幻想"を、我々は目撃する。



静的な恐怖と、動的な恐怖。その双方を振り子のように行き来し、それゆえに"世界"を描ききった、まれに見る傑作ホラー映画であるといえる。

正直、筆者は実際に見るまで、心のどこかで「所詮はハリウッドだろう?」という諦観を抱えていた。ハリウッド製のホラーは嫌いではないが、どうしても単なる勧善懲悪に終わってしまう上、原作でいかに複雑な構成をとっていても、映画化の過程で絶望的なまでに単純化されてしまうという致命的な欠点がある。原作 SILENT HILLが持つ、あの独特の哀しみの世界を、ハリウッドが実現できるとは思えなかったのだ。

ところがどうして、完成した映画は、見事にあの詩的な世界観を達成していた。これは素直に驚愕したし、また賞賛したい。監督がフランス人だからかもしれないが、まったく脱帽モノである。

原作がゲームだからといって敬遠している人が仮にいたら、是非その考えは修正していただきたい。ここにあるのは、映画史にその名を残すであろう、世紀の傑作ホラーだ。今後50年はこれを越える作品は出現しない、…筆者はそう確信している。



2006年7月12日




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